軽井沢辞典

2021.11.30

別荘族プラスαの軽井沢へ ~森の回廊計画

軽井沢駅は軽井沢の表の玄関、なんといっても東京から約1時間のアクセスの良さが軽井沢の魅力の1つであることは間違いありません。

その昔、軽井沢村が避暑地として有名になる前の明治時代初頭、群馬県から中山道を取って軽井沢に入るルートでは、旧軽井沢が入口でした。中山道の宿場町としては、軽井沢町は寂しいもので、もしかしたら当時の沓掛村(今の中軽井沢)追分村の方が賑やかだったのかもしれません。

宿場町としてはマイナーな存在だった軽井沢は、ご承知の通りその後別荘地として大きく羽ばたきます。

軽井沢という場所を考える時、わたしは ”今、ここでない場所”という言葉を思い浮かべてしまいます。普段の生活を送っている場所とは違う場所、、そして何か特別な感覚を思い出させてしまう場所、、、


昔なら1か月もの休みを取って籠る場所、軽井沢、碓氷峠に守られた軽井沢は何よりもアクセスが大変だったので、2,3日の滞在のために気軽に訪れるような場所ではなかったのでしょう。

そのような特別な場所軽井沢も、長野オリンピックを契機として、信越道と長野新幹線の開業により、首都圏から気軽に訪れる場所となります。

これにより”別荘地軽井沢”が”観光地軽井沢”としての一面を持つようになったのです。

別荘を持っていていつでも好きな時に軽井沢を訪れることができる人にとって、軽井沢はいうまでもなく素晴らしい場所です。しかし、観光客にとってはどうでしょうか?なんとなく素敵な高原の町のイメージで軽井沢を訪れる人々は、軽井沢のどのような場所を訪れ、どのように時間を過ごしているのでしょうか?

多分、間違いなく人気があるのは、旧軽銀座、プリンスアウトレットとハルニレテラスの3大名所でしょう。

でも別荘地は? もちろん、天気の良い日にレンタサイクルで別荘地を訪れることはできます。しかし、樹々を通して見える家は他人の家、入ることは当然、しげしげと眺めることもなんとなく気が引けてしまいます。

そう考えてみると、軽井沢という町と観光客は相思相愛とは言い難い状況にあることに気が付きます。

明治以降、国鉄信越線もそして碓氷バイパスも軽井沢の南側から入ってくるようになりました。そして、今の軽井沢駅付近が軽井沢の玄関口となったのです。

軽井沢駅から旧軽井沢銀座まで約1.5k,、観光客の人々はそぞろ歩きするために旧軽銀座を訪れますが、両脇に店が並んでいるだけで取り立てて魅力はありません。 そもそもこの距離をわざわざ歩く人もそれほど多くなさそうです。

でもヨーロッパの多くの街の中心部には遊歩道があります。住民も環境客も等しく暇をみつけてこの手軽な公園をブラブラ歩いて楽しんでいる光景をよく目にします。

軽井沢は高原の街、例えばこの距離を森の楽しさを実感できる演出とすればどうでしょう? 駅を降り立てば、そこにレンタサイクル、人力車、などなどがゲストを待っていて、人はそれぞれ自分の好み、体力に合わせて、旧軽井沢までの移動を楽しめる。道端の緑は遥かに増やす必要があるでしょう。例えば、ヨーロッパスタイルに道の真ん中の遊歩道などはとても素敵です。ここでソフトクリームやクレープを齧りながら旧軽銀座までのそぞろ歩きを楽しむ。ベンチも数多く置いて、この遊歩道自体が公園となります。

軽井沢町長さん、こんなアイデアはいかがですか?

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