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軽井沢の冬を暖かく過ごす家 – その1断熱材

季節の今頃は寒ーい軽井沢、特に寒さの厳しい今年の冬では軽井沢でも一段と寒い冬になっています。 軽井沢は標高約1000mにあり、いわずとしれた寒冷地です。大体において軽井沢の気候は札幌と同じ、そして北軽井沢までひと山昇れば気候は十勝と同じといわれますから、その寒さは北海道並みということです。実際、冬型の寒い秀は、日中の最高気温が0度に達しない、真冬日であることもしばしばです。 外は冷たい風が吹き雪が舞っていても、家の中では暖かく過ごしたいのが自然ですよね。昔は、軽井沢の別荘は夏だけに過ごすことを前提に建てられていたので、壁の中の断熱材はなく、基礎は高い独立した基礎で床の下を冬風がひゅうひゅうと吹きすさぶということもまれではありませんでした。 これでは冬を暖かく過ごすということは望むべくもありません。 しかし、北海道の人が東京に来ると、逆に寒い、寒いとこぼすことが多いことをご存知でしょうか? 寒い北海道では家はしっかりと断熱されることが多いのに、東京ではなまじっか暖かいために、家が断熱化されていない。戸建特有のすきま風の感覚に、北の人々は音を上げるのでしょう。 北海道並みの寒冷地である軽井沢なのに、家の断熱対策はそれほどしっかりとしていない、というのが家を二軒建てたわたしの印象です。軽井沢でショップを借りると、1年契約をしても12月になると水道が止まり、欲念4月まで営業できない、軽井沢流通年契約に驚かされます。夏の間に1年分の収入を確保しなければならない軽井沢でのショップ経営の難しさといわれる所以ですが、今軽井沢に家を求める人は、昔とは違って冬も含めて通年住むことを考えているのが普通でしょう。 しかし、建築の方はそのような変化についてこれていない印象です。 冬は当然家の中で暖房を焚いて暖をとりますが、外は零下の寒さ、家の中の暖かさを逃さないために壁と屋根の断熱がとても重要です。 今断熱材として一番一般的に使われているのがグラスウールです。別荘を建てるときに一番一般的な木造の家を工務店で建てると、特に何も注文を付けないと、十中八九このグラスウールが壁の中に断熱材として入れられることでしょう。 どのような断熱材を使うかを考える際に、それぞれの素材の断熱性のが注目されます。住宅本を読むと、グラスウール、ロックウール、ウレタンなど各種の断熱材がどれくらい熱を止められるかの、断熱係数の表をよく目にします。 確かに、断熱係数は重要ですが、しかし断熱材として使用されている素材はどれも熱を通しにくい性質を持っており、その違いというよりは、壁の中で断熱材がどれくらいぴっちりと隙間なく敷き詰められているか、いいかえればどれくらい丁寧に施行されているかの方が、実際に住んでみて暖かい家を手に入れるためには重要であるとわたしは考えています。 グラスウールが一番使われているのは、値段が安いからです。されに、これを壁の中に入れるのは大工さんたちです。しかし、グラスウールが断熱性能を発揮するには壁の中の空気を止める必要がありますが、壁の中に隙間があり空気が対流すると断熱性能が落ちるという欠点があります。 またグラスウールは水分に弱いので、水を含むと重くなり壁の中でずり落ちてしまいます。 このような特性でグラスウールを壁に詰めて断熱した家は最初は壁にぴっちりと詰められていても、時間が建つと隙間ができて寒くなってしまう危険性があります。 住宅の次世代省エネルギー基準と指針」より抜粋 グラスウールが綿状であるのでこのような性格があるのですが、板状になっている硬質ウレタン、ポリスチレン、また、現場で発砲させて吹き付ける現場発砲ウレタン、また専用のブロワーで吹き付けるセルロースファイバーなど、実にさまざまな断熱材があります。 冬の寒い軽井沢では、どのような断熱をするかが、その後の快適性を大きく左右されます。でも実際に家を建てる際には、十分な検討をせず契約してしまうことも結構あるのではないでしょうか? この後、軽井沢で暖かい家を手に入れるにはどうすればいいか、様々な角度から考えたいと思います。

軽井沢の別荘地図

軽井沢の別荘地としての歴史は、旧軽井沢から始まりました。明治時代の最も早い時期に軽井沢に別荘地を建てた外国人宣教師たちは旧軽井沢の愛宕山、旧軽井沢銀座から今の万平ホテルの裏手にまたがる地域に別荘を構えました。幸福の谷と呼ばれる一帯です。 宣教師達はそれほど大金を手にしていたわけではないでしょうから、建てられた別荘も質素なものでした。杉板や杉皮などの自然素材を多用し、森の木よりも低い平屋建てが森の中にひっそりと建っている、典型的な軽井沢の風景が旧軽井沢に生み出された所以です。 明治時代の西洋に学ぶ空気も影響したのでしょう。その後、軽井沢の自然に保養する宣教師達のライフスタイルを、当時、そのような経済的余裕があった人々、経済人、作家、政治家、軍人たちといった人々が踏襲していきます。 それに伴って別荘地も、旧軽井沢の桜沢、釜の谷といった軽井沢駅から見て右手から、鹿島の森、そして離山へと広がっていったように思われます。今、鹿島の森が軽井沢随一の高級感を誇るのもそのような歴史的背景によるものではないでしょうか? このように見てみると、一般的に旧軽井沢として同じ地域にくくられる中でもそれぞれ地域ごとに特色があることに気付きます。 桜沢、釜の谷、愛宕山の旧軽井沢の東側では、建っている別荘も古いものは比較的小振りな平屋、造りも質素なものが多いように思われます。明治時代から100年経ち、当時植林された樹々が見事な大木となった今、三方を岡に囲まれ昼なお暗威、行き止まりのような地形でもあるので、別荘所有者以外の車が入ってくることも少ない。聴こえてくるのは、ただ風にざわめく樹々のつぶやきだけ。 このような軽井沢の真髄を求めるには、旧軽井沢東部はうってつけの場所といえるでしょう。そしてその中心部に万平ホテルがどっかりと鎮座し、深山の趣を壊すことなく華を沿えてくれています。

軽井沢の別荘の値段

多くの人の憧れの的である軽井沢の別荘。一体いくらくらいの値段なのでしょうか? もちろん、軽井沢といっても広い、ですから別荘の値段ももちろん千差万別です。 まず最初に知っておくべきことは、軽井沢では、というより長野県では条例によって別荘地の最低単位が300坪に設定されていることです。そして軽井沢の多くの地域では、容積率が20%に限定されています。つまり、300坪の土地を買うと建てられる家の広さは最大限60坪ということになります。 これは、別荘地の森や緑を守るという配慮に基づいているもので、軽井沢の別荘地の環境を守るうえで大きな役割を果たしているといえるでしょう。 さて別荘地の最低単位が300坪であるということは、坪単価がもし10万円であれば、3000万円を出せば、300坪の土地を買えることになります。実際のところはどうでしょうか? 今に本全国の不動産市場を見て気付くことは、いわゆる二極化が進行しているということ。つまり、観光地でもない田舎の民家や山、そして管理費ばかりがかかるリゾートマンションではただでも買い手が着かない有様で、負動産という言葉までが出てくる始末。それに加えて、東京の地価はかなり高くなってきています。 もっと詳しく見ると、東京でも郊外の住宅地では値段が上がらないにもかかわらず、銀座は表参道といった有名商業地では、かなりの上昇を見せています。 軽井沢は別名東京24区と呼ばれていることをご存知ですか? これは、軽井沢には東京の人とお金が多く流れ込んでいるという現実をうまく言い当てた言葉だと思います。そして、軽井沢でも同じ不動産の二極化が進んでいるように思われます。 では、軽井沢のどの地域が値段が上がっていて、どの地域が下がっているのか? 少しミクロに詳しく見てみたいと思います。