軽井沢辞典
2021.10.22
ジョンレノンを魅了した軽井沢
わたしが軽井沢を初めて訪れたのは20余年前、90年代後半でした。ちょうど、長野オリンピックに合わせて長野新幹線と高速信越道ができて、それまでと比べて軽井沢へのアクセスが格段に良くなったころ、、、
当時はバブル崩壊から数年後で、軽井沢も御多分に漏れずバブル観光地のイメージがありました。旧軽銀座を埋め尽くす人混み、タレントキャラクターショップの連なり、そうTVでもおなじみになったあの風景です。
しかし、万平ホテルに宿を取り、旧軽井沢の深い森の静謐さに身を置き、そして自転車を借りて当たりを散策してみると、旧軽銀座のバブルイメージは、軽井沢の姿のほんの一面に過ぎないことがわかりました。多くの大木に覆われ、昼なお暗く、そしてなによりも静か、こんな場所は日本のどこにもないように思えたのです。
そして、時が流れて大震災の年、2011年の夏、わたしは英国リバプールを訪れる機会を得ました。もちろん、大好きなビートルズの足跡をたどるために、、、そして、驚きました。ジョンやポールが育ったリバプール周辺住宅地と、軽井沢のなんと似ていることか。道理で1975年の夏に軽井沢を訪れたジョンが軽井沢のとりこになってそれから3年間毎夏避暑に訪れたわけです。
万平ホテルを定宿としてたジョンはやはり、自転車での移動を好み、数キロ離れた塩沢通りの驪山房というカフェに、ショーンくんを連れて頻繁に通いました。この驪山房は別名グルメ通りと呼ばれる塩沢通沿いにあり、この別荘からは徒歩3分にあります。
私はといえば、最初に軽井沢を好きにさせてくれた万平ホテルそしてその裏手の幸福の谷別荘地が大好きで、別荘から自転車を駈り、旧軽沢をひんぱんに訪れています。そう、ショーンくんを自転車に載せて驪山房へと通ったジョンとちょうど反対のルートを取って、、、 写真の男の子はショーンではなく、前妻シンシアとの最初の子、ジュリアンです。 ジョンが芸能界から身を引いた1975年からジョンの愛情を一身に受けて育ったショーンとは違って、可哀そうなジュリアンは一番必要な時期に、父親ジョンからの愛情を受けることができませんでした。バギーに乗ってジョンにしがみつくジュリアンの姿は涙を誘います。