軽井沢辞典
2021.07.20
軽井沢別荘地探訪~ 旧軽井沢
旧軽井沢別荘地はいわずと知れた軽井沢発祥の地です。100年以上前の明治時代、外国人宣教師たちがはじめて別荘を建てた場所がここです。すなわち、軽井沢の真髄、精神を持つ土地と言ってもいいでしょう。
しかし、軽井沢町あるいは近郊に住む人たちの中で口の悪い人は、
”旧軽井沢なんて人の住む場所じゃない” とこき下ろす人もいます。 軽井沢の中でも、もっとも古く、そして最も”高い”旧軽井沢、このような軽井沢の代表的な場所の評価が、人によってこうも異なるのにはどのような理由があるのでしょうか?
旧軽井沢にまつわるこの面白い現象は、軽井沢とは一体何か? という問題に密接に関連しています。
元々軽井沢を見出した外国人宣教師たちはなぜ軽井沢に魅せられたのでしょうか? 彼らは明治時代の日本にキリスト教を広めるという使命に燃えて、はるばると海を越えてやったきた宗教的、精神的な人々です。異国の地での生活はさぞかしストレスのかかる者であったでしょう。エアコンなどなかった当時の日本特有の蒸し暑い夏は、外国人宣教師たちにとってさらにストレスを高めたと想像できます。
そのような彼らが、中山道沿いの寒村に過ぎなかった軽井沢にはせ参じたのは、夏の涼しさもさることながら、日々の生活から一時離れて心の平安を求める部分が大きかったのではないでしょうか?
旧軽井沢別荘地を歩いてみるとわかりますが、ここは不思議な土地です。生い茂る大木のせいで昼でも薄暗く、人の姿もまばらで静かです。ここは、東、北、西の三方を山に囲まれた谷地の地形のせいか、セミの合唱の声にエコーがかかり、不思議な響きで降ってきます。 豊富な湧水を含む空気は独特な湿気を持ちます。
長く旧軽井沢の別荘地に滞在していると、何か浮世離れした感覚すら感じてきます。 旧軽井沢に好まない人々は、このような感覚が好みに合わないのかもしれません。
このように旧軽井沢は、軽井沢のエッセンスを色濃く漂わせた別荘地です。別荘地というと、会社によって開発され管理者がいるように想像するかもしれませんが、旧軽井沢にはそのような存在はありません。森を好ましく感じた人々が、別荘を建てて滞在するようになった。ただそれだけです。しかし、今旧軽井沢の別荘地を歩くと、多くの別荘が使われていないことに気づきます。もちろん別荘なので、常に人がいるわけではないのですが、夏の休日などでもその多くが人の気配なく、門戸が閉じられています。
旧軽井沢別荘地は、軽井沢でも最も土地の値段が高い場所です。数年前では、坪30万円が相場と言われていました。2021年に入りコロナ禍の影響で、軽井沢の土地の値段が上がる中で、旧軽井沢の地価もさらに上がっているでしょう。長野県条例で、別荘地には最低300坪の土地が必要なので、旧軽井沢に別荘を建てようとすると土地だけで1億円かかるのです。これに見合った家を建てるにはざっとさらに1億円、合計2億円が必要なのです。
普段住むわけではないセカンドハウスに2億円、これだけの出費ができる人は限られてきます。旧軽井沢の土地の値段が上がり過ぎた結果、別荘地の取引自体が多くないのでしょう。結果として、使われていない旧軽井沢の別荘が数多く存在し、セミの声だけが響き渡っています。