軽井沢辞典
2021.07.06
軽井沢の全く新しい可能性~民泊
多くの人にとって軽井沢とは憧れの避暑地です。いや、昔は軽井沢があまりに寒くて、また家の断熱性能もよくなかったから、夏にしか来れなかったのですが、1年を通じて軽井沢に人がやってくるから、避暑地とは時代遅れの言葉でしょう。これからは保養地と呼ぶことにしましょう。
普通リゾート地を指しては、観光地という言葉がよく使われますが、どうもこの言葉は軽井沢にはフィットしません。観光というと、美しい風景、珍しい建物などを訪れるのが通例ですが、軽井沢にはいわゆる名所的なものがそれほどないのです。
なんといっても軽井沢の主役は森です。しかし、軽井沢に森を訪れに来る? 今一つピンと来ないのは、軽井沢の過ごし方のメインが、森でゆっくりと過ごすということであるからでしょう。だから、保養地軽井沢と呼ばれるのです。
しかし、軽井沢の独特の立ち位置は、いわゆる観光地として軽井沢を見た場合に問題を提起しています。すなわち、
”軽井沢を満喫するにはどこに行って、どこに泊まればいいのか?”
という問題です。
いうまでもなく、軽井沢は別荘地です。なんと町内の別荘の数は15,000にものぼるのです。これらの別荘を保有しているラッキーな人々は、予約せず勝手知った自分の家に自由に訪れて、チェックアウトの時間を気にすることもなく、ゆったりと過ごすのです。
しかし軽井沢で別荘を買うには、少なくとも数千万円のおカネが必要です。先ほどラッキーな別荘所有者と呼んだのはそういうことです。セカンドハウスに数千万円のおカネを費やせる人たち、これはやはりラッキーでしょう。
言い換えれば、美しい森でゆっくりと過ごすという軽井沢の真髄といっていい楽しみ方は、このようなラッキーなごく一部の人々に限られてきました。
一戸建てを買うのが難しければ、次善の策としてマンション、、というのは当然の思考です。そしてそれは軽井沢にも起こりました。軽井沢に長く関わる人なら覚えているであろう、軽井沢マンションメソッド事件です。
約20年ほど前、あるゼネコンが軽井沢にマンション計画を建てました。それがなんと旧軽の奥、老舗万平ホテルの裏側の土地だったのです。この辺りは、幸福の谷と呼ばれ、訪れた人ならお分かりの通り、軽井沢のエッセンスに溢れた土地です。
周りを丘で囲まれ、そして大木が林立する一種の閉鎖された空間に響き渡るセミの音と水音、しばらくたたずんでいると現実感覚さえ薄れてくるような気がします。
この土地にブルドーザーが入り込みマンションが建設されると、これは土地の精霊がいなくなってしまう。多くの人々がそのように危惧しました。そして、幸運であったのは当時先進的な考えを持つ、田中康夫氏が長野県知事であったことでした。田中氏は軽井沢町長と協力して、軽井沢でのマンション建設を厳しく制限するマンションメソッドを導入、結果的に万平ホテル裏のマンション建築計画は撤回されるに至りました。
その後軽井沢でマンション建築が全く禁止されたわけではないですが、別荘地の奥に建てることができなくなりました。今、建設されたリゾートマンションは、南軽井沢プリンス通りや離山通りなど大きい通り沿いに限定されています。
これは明らかに軽井沢の保養地としての環境を守るために大きな一歩であったでしょう。もし、旧軽井沢にマンションが林立していたらそれはもう軽井沢ではありません。
そして20年後の今、軽井沢で老朽化したマンションが溢れる第二の越後湯沢となっていた可能性さえありました。
しかし、マンションメソッドにより、軽井沢の美徳を享受できる人々がラッキーな勝ち組に限定されてしまったことも、同様に真実です。実際、軽井沢で最も地価が高い旧軽井沢に足を踏み入れると、使われていないと思われる別荘が数多くあります。ここの地価は1坪30万円超とされています。長野県条例により、別荘の1区画が300坪以上必要であるので、旧軽井沢に別荘地を求めるには約1億円、そしてそれに見合った別荘を建築すると、合計で1億500万円もの大金が必要なのです。これでは、普通の人々は旧軽井沢に別荘を買い求めることは不可能です。
さて、2000年辺りのマンション騒動から約10年、軽井沢に新しい動きが起こりました。バケーションレンタルです。 一部の旅行会社が別荘所有者と提携し、”1日から別荘生活”を旗印し、貸別荘事業を始めたのです。
考えてもみてください。バケーションレンタルが始まる以前では、軽井沢に居を構えるには数千万円のおカネが必要とされました。これが、1泊単位で数万円で可能となったのです。
当然の帰結として、バケーションレンタルは人気を呼びました。そして決定打となったのが、Airbnb社の参入です。 同社は優れたプラットフォームをホストに提供し、貸別荘の宣伝を可能としました。
これに待ったを掛けたのが軽井沢町です。実は、Airbnb以前にも貸別荘を提供しようとする会社がありましたが、町の規制により諦めたと聞いています。
2014~2016年には全国的な民泊の盛り上がりがあり、そして2017年に民泊新法が導入されました。これは、自分の住宅を金銭的対価を得て宿泊事業を行うことに、法律的な位置づけを与えた点で画期的なモノでした。この法律によると、年間180日を限度に自分の家をゲストに貸し出すことができるようになったのです。
しかし、軽井沢町はこの民泊新法に猛反対をしました。そして、長野県に要請し年間180日という民泊運用の上限をはるかに厳しくすることに成功したのです。
現在では、軽井沢では5、7.8.9月を除く休日前の土曜日に限って民泊が許可されています。月間4日x8か月=年間32日ですから、当初の180日からは大きな後退です。
ちなみに、町は”軽井沢では民泊は禁止”との宣言を行っています。
これはどういうものでしょうか? 民泊新法によると、民泊の監督官庁は県です。だからこそ、上乗せ規制を実施するために町は県に依頼したのです。したがって、軽井沢町に民泊を禁止する法律的な権限は存在しません。したがって、軽井沢町の民泊禁止宣言は、正確にはお願いです。