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軽井沢の中国人

軽井沢に多くの中国人観光客を見かけるようになって久しい。顔かたちはわたしたちとほとんど見分けはつかないが、 観光バスに乗り付けてきて、また別荘地を自転車で行き来する彼らをは、日本人観光客とは雰囲気の違いで中国人だとわかります。。  彼らが大体どれくらい軽井沢に滞在するのかはわからないですが、想像するにせいぜい1、2泊ではないでしょうか。 滞在型旅行とはいえないですが、ここに中国人観光客が求めるものと、軽井沢が提供しているのの間にギャップがあるように思われます。 軽井沢の最大の魅力とは何でしょうか?  もちろん、軽井沢に求めるものは人それぞれでしょう。しかし、アレクサンダー・ショーをはじめとする外国人宣教師に見出された軽井沢の価値は、最高の夏の保養地というものでした。その後、住宅性能の向上に伴い、軽井沢は夏の保養地から一年を通じた観光地へと変わっていくわけですが、やはり保養地というその特質は変わっていません。 軽井沢の深い森の中に滞在し、深呼吸することで、日常の雑事からもたらされた疲れを振りほどく、これが今も昔も変わらない、軽井沢の最大の特質です。そして、そのためには環境のよい所でゆっくりと、ある程度日数を掛けて滞在してこそ、 軽井沢の価値を実感できるのだと思います。 しかし、中国人、いやもしかしたら、別荘などもたない日本人観光客も、この軽井沢の最大の特質を享受できているでしょうか?  京都、あるいは金沢だったら、お寺や日本庭園など見所は沢山あるでしょう。しかし、軽井沢では、積極的に観光するというよりは、森の別荘でゆっくりするという滞在が最大の贅沢なので、いわゆる見所はそれほど多くはありません。 アウトレットは確かにショッピングを楽しめる素敵な場所ですが、しかしこれが軽井沢ならではの場所であるとも思えませんし、そのような反省のもと、星野リゾートはプリンスとは全く異なるコンセプトにたってハルニレテラスを企画したのでしょう。 つまり、軽井沢はステイ型の場所であるのに、その特質を生かした楽しみを提供できてはいないように思われます。 そのギャップのおかげで、せっかく訪ねてきてくれた中国人観光客が自転車で町内をブラブラして帰るのではあまりに もったいない。 この問題は、軽井沢の今後を考える上で掘り下げていくべき問題のように思われます。

軽井沢の別荘地図

軽井沢の別荘地としての歴史は、旧軽井沢から始まりました。明治時代の最も早い時期に軽井沢に別荘地を建てた外国人宣教師たちは旧軽井沢の愛宕山、旧軽井沢銀座から今の万平ホテルの裏手にまたがる地域に別荘を構えました。幸福の谷と呼ばれる一帯です。 宣教師達はそれほど大金を手にしていたわけではないでしょうから、建てられた別荘も質素なものでした。杉板や杉皮などの自然素材を多用し、森の木よりも低い平屋建てが森の中にひっそりと建っている、典型的な軽井沢の風景が旧軽井沢に生み出された所以です。 明治時代の西洋に学ぶ空気も影響したのでしょう。その後、軽井沢の自然に保養する宣教師達のライフスタイルを、当時、そのような経済的余裕があった人々、経済人、作家、政治家、軍人たちといった人々が踏襲していきます。 それに伴って別荘地も、旧軽井沢の桜沢、釜の谷といった軽井沢駅から見て右手から、鹿島の森、そして離山へと広がっていったように思われます。今、鹿島の森が軽井沢随一の高級感を誇るのもそのような歴史的背景によるものではないでしょうか? このように見てみると、一般的に旧軽井沢として同じ地域にくくられる中でもそれぞれ地域ごとに特色があることに気付きます。 桜沢、釜の谷、愛宕山の旧軽井沢の東側では、建っている別荘も古いものは比較的小振りな平屋、造りも質素なものが多いように思われます。明治時代から100年経ち、当時植林された樹々が見事な大木となった今、三方を岡に囲まれ昼なお暗威、行き止まりのような地形でもあるので、別荘所有者以外の車が入ってくることも少ない。聴こえてくるのは、ただ風にざわめく樹々のつぶやきだけ。 このような軽井沢の真髄を求めるには、旧軽井沢東部はうってつけの場所といえるでしょう。そしてその中心部に万平ホテルがどっかりと鎮座し、深山の趣を壊すことなく華を沿えてくれています。

別荘地とは何か?

軽井沢の最も価値ある財産が、保養地=別荘地にあることは議論を待たないところです。軽井沢の森に、ゆったりと余暇を過ごせる別荘を持つということが、多くの人々の憧れとなる所以です。しかし、厳密に別荘地とはどのような土地であるか、考えてみたことはあるでしょうか? 別荘地は当然ながら家を建てる宅地ですが、建築を監督する法律上、一般住宅と別荘地という区別はありません。では、宅地と別荘地を区別するものは何でしょうか? 軽井沢の別荘というと、緑豊かな森に低層の木造の別荘がひっそりと立ち並ぶさまを多くの人が思い浮かべるでしょう。明治時代、最初に軽井沢に別荘を建てた外国人宣教師たちはその信条に沿い、自然に寄り添う質素な別荘を建てることが多かったのです。 別荘も家の一種ですが、しかし、普段住んでいる所ではない何処か別の所で、便利さ、損得、などに縛られた日常生活の頸城を一時解き放ち、自然の静寂へと聞き入る。このような別荘では、普段住んでいる家とは違う性格も求められます。 そのためには、人間社会べったりの日常から、わたしたちの目をそらせてくれる、自然が必要です。しかしながら、別荘地といえども資本主義経済の洗礼を逃れることはできません。多くの人々が軽井沢に別荘を求めればそれだけ森が切り倒され、別荘の本質的価値である豊かな緑と静寂が失われる、軽井沢とて、現代のわたしたちを縛っている商業主義のジレンマの下にあります。 この中で、軽井沢の別荘地の自然の保全に大きな役割を果たしているのが、長野県条例です。これにより、長野県では別荘地に最低300坪、建ぺい率容積率はそれぞれ20%という非常に厳しい制限を課しているのです。 これはつまり、300坪の土地を買っても、家を建てられるのはその2割まで、つまり60坪までということを意味し、残りの8割の森が守られることが期待できます。 しかし、期待はあくまで期待、中には自分の土地だからといって、木を見事に皆伐してしまう人々も中にはいます。 また、マンションも環境を守るうえで大きな問題となります。 マンションを建築することに寄ってもたらされる莫大な利益は、土地の持ち主と建築会社(そしては行政にも)大きな魅力であるからです。 その意味で軽井沢は、2001年にマンション軽井沢メソッドを宣言した当時の軽井沢町長 佐藤 雅義と長野県知事 田中 康夫に多くを負っています。 http://karuizawa.style.coocan.jp/sengen.htm この軽井沢マンションメソッドが制定された当時、大手ゼネコンの一角が旧軽井沢万平ホテル裏の丘を切り崩して、マンション建設を計画しているとの噂までありました。旧軽井沢、万平ホテル近辺の雰囲気を知っている人なら、このような開発をすればそれは軽井沢の死を意味することは、容易に想像がつくでしょう。 タワーマンションが林立する軽井沢を想像できるでしょうか? 越後湯沢に起こったことを回想すれば、軽井沢でも同様の事態に陥ったことは容易に想像できます。 そして、佐藤町長と田中知事はマンション軽井沢メソッドを宣言することで、軽井沢の救世主となったといっても過言ではないでしょう。

軽井沢エリア探索〜旧軽井沢

あなたは軽井沢に何を求めますか? もちろん、人によって軽井沢に求めるものは微妙に異なるでしょう。元々、明治時代に別荘地、保養地としての軽井沢を見出したのは、明治時代の外国人宣教師達です。キリスト教を布教するためという大義を掲げ、大海を渡ってやってきた彼らですが、異国の風習、言葉がまったく分からない当時、日本の生活には並々ならぬ労苦があったことでしょう。 また、ヨーロッパやカナダという日本よりの高緯度の国々からやってきた彼らを苦しめたのが、日本特有の夏の蒸し暑さでした。そのような彼らにとって、軽井沢の涼しさ、そして高地にありながら比較的平坦な軽井沢の地形に、故郷を思い出させるものを見たのかもしれません。 これらの外国人宣教師たちが最初に軽井沢に別荘を建て出したのが、旧軽井沢地区でした。当時のメインアクセスとなる旧中山道は群馬県側から旧軽井沢へと出てきていたので、当時に今のつるや旅館あたりは軽井沢の玄関口、このあたりに別荘を建てるのは自然なことだったのでしょう。 さて、遠くは慣れた異国の地に住み、とりわけ日本の夏の暑さに倦んだ彼らが求めたのは、自然の癒しでした。当時の写真を見ると軽井沢には今ほど大木がなく、草の高原といったイメージですが、今では旧軽井沢地域は大木が多く、夏でも日差しが遮られ涼しいという要素を最も色濃く持っている地域であるように思われます。 また、旧軽井沢は東に碓井峠、北に愛宕山、西に離山と三方を山に囲まれた地形であることも、気候に影響していると思われます。わたしも旧軽井沢が好きで時に別荘地を散策しますが、その時に感じ独特な落ち着いた感覚はこの地域に特有です。 軽井沢の原点ともいえる軽井沢ですが、ここに見られる魅力的な別荘の多くは多くの場合人気がなく、それほど活用されていないようにも見えます。ひとつにはもともと軽井沢の別荘は夏だけの使用を想定されてきたので、ここに多く残る古い別荘では断熱が充分でなく、通年の利用には耐えられないことも原因にあるようです。また、旧軽井沢は夏は涼しいが一年を通して湿気が高く、軽井沢町の中でも最も暮らしにくいとは地元の人々が口を揃えていうことです。 旧軽井沢地区の知名度の高さ故、土地の値段が高いことも影響してそうです。当然、場所によりますが、この地区の土地単価は坪30万円程度はするでしょう。長野県の条例で、別荘地は最低300坪必要ですから、旧軽井沢に別荘を持とうと思うと、土地だけで9000万円、一般の人々には到底手が届きません。不動産売買もそれほど活発に動いてはいないようです。 夏の避暑地から通年のネイチャーランドへ、今旧軽井沢はその素晴らしい魅力を次代に受け継ぐ術を知らず、ある意味産みの苦しみにあるといえそうです。

軽井沢の起源

別荘地としての軽井沢は明治時代にカナダの宣教師に見出されたことが発祥であることはよく知られています。旧中山道沿いのひなびた寒村であった明治時代初期の軽井沢、冷涼な気候と溶岩系の土壌の軽井沢は農作に恵まれた環境とはいえなかったでしょう。実際に、明治時代の軽井沢では樹木は薪として苅られ、今よりもはるかに緑が少なかったと記録されています。